6年前に切った『花咲くいろは』は、素敵なアニメだった。

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僕は『花咲くいろは』を一度切っている。放映当時は作中の主人公・松前緒花と同じ高校2年生だった。東京ですれていた緒花は、母親に捨てられたような形で田舎の祖母の元に送られ、その祖母が経営する喜翠荘で仲居として働くこととなる。しかしそこでも、祖母は厳しく、同年代の従業員にも嫌われ、散々な目にあう。僕は元来こういったストーリーは苦手だ。感情移入しやすいタイプなので、辛くなって視聴をやめてしまった。未来が雲がかっていた当時の僕にとって、『花咲くいろはは現実的すぎたのだ。

 

その6年後、将来がある程度みえてきた大学卒業間近の僕は、プライムビデオでたまたま『劇場版 花咲くいろは HOME SWEET HOME』を見つけた。少しでも観てみようという気持ちになったのは、放送終了後に目にしたあるニュースが引っかかっていたからだ。『花咲くいろは』ファンの男性が、石川県の旅館で仲居として働くことになったというニュースである。そんなに夢中になれるアニメだったのだろうか、と思ったのを憶えていた。

 

すぐに飽きるかもしれないな、と考えながら視聴した僕だったが、その予想は完璧に外れていた。僕は最初から最後まで、この映画に魅入ってしまったのである。

『劇場版 花咲くいろは』は緒花が働く旅館・喜翠荘に残された日誌を通して、緒花の母・皐月の過去を知る物語だ。高校生の皐月は上京を夢見ていた。実家である旅館や田舎町に縛られ、つくられたレールの上を進むしかないという未来。それを嫌がり、東京でのドラマを夢想するのはよくある話だ。そしてそれは、東京での灰色の生活から抜け出したかった緒花と鏡合わせでもある。そんな状況が変わったのは、のちに皐月の夫となるカメラマンと出会ってからだった。「私、輝きたい」。そう叫んだ皐月に対し、東京から来たカメラマンは「君はとても輝いている」と言う。カメラを通して皐月をみるという構図は、視聴者と重なっている。このカメラマンは視聴者の代弁者でもあるのだろう。自分を認めてくれる存在に出会った皐月は、やがて彼に恋し、彼を目指して上京する。それが正しかったかはわからない。けれど、彼女はひとつの選択をしたのだ。

「私、輝きたい」。映画のキャッチフレーズでもあるこの言葉は、緒花の現在の想いでもあった。緒花は今まで知ることのなかった母の側面に触れることで、「輝くとはなにか」を探してゆくようになる。高校生の僕ならば、「そんなものは小っ恥ずかしい」と切り捨てていたかもしれない。でもそこからしばらく経ち、ようやく客観的に過去を振り返れる今ならば、全力で頑張っている彼女らは一番格好良く、美しく思える。

 

劇場版のあと、すぐにアニメの「続き」を見始めた。僕が視聴していたのは、緒花が喜翠荘を酷評した編集者の母・皐月に直談判にいく話までだったらしい。出版社の前で座り込み抗議をする緒花は、見るのが辛すぎたのだ。

次話で緒花が皐月にみせた喜翠荘は、6年ぶりに目にした僕にも新鮮で、輝いてみえた。僕はかつて、京都の老舗旅館で働いていたことがある。大正時代に建てられたその旅館には、同じように怖い女将さんや、気さくな番頭、若い仲居さんがいた。そしてやっぱり、厨房は聖域だった。将来は女将になることが決まっている若女将や孫娘がいる女将は京都ならではの回りくどい叱責をしていたけれど、その怖さも旅館をきちんと回すためには不可欠なものだったのだ。そしてそれは、喜翠荘でも変わらない。

喜翠荘で起こる数々の出来事を通して、緒花は成長してゆく。つねにめげず、誰にでも開放的な彼女の周りはいつも賑やかだ。

 

最終話近辺、突然に女将から喜翠荘の閉館が予告される。それは日常系アニメにありがちな、最終話付近のシリアス転換からのカタルシスとは違った。このアニメでは本当に閉館してしまうからだ。

松前緒花は、女将である四十万スイから本心を聞かされる。昔話を語る女将の姿は、このときにはすでに女将ではなく、祖母として緒花の眼に映っていた。夫とともに旅館をはじめ、一代で築き上げた喜翠荘のストーリー。それまでこのアニメのすべてであったこの舞台が、スイの話を聞くことで途端に小さく、儚いものに思えた。緒花の言った「年寄の話はよく分かりません」という言葉は、現在を必死に生きる女子高生としての率直な感想だっただろう。そしてそれは、視聴者の感想と同じではないはずだ。

 

おそらくこのアニメは、視聴者が主人公に没入することを意図していない。はじめから、彼女らの青春を離れたところで見守るアニメなのだ。それが明瞭なのは、最終話で緒花が去ったあと、四十万スイがひとり佇むシーンである。「待ってるよ」と去ってゆく電車に呟いた元女将の言葉は、視聴者の気持ちを代弁している。登場人物のそれぞれが新生活を始めるなか、四十万スイだけはその描写がなかった。それは彼女が、いつまでも彼女らの帰りを待つという、視聴者と同じ役割を担っているからだろう。そうだ。僕はあのとき、『花咲くいろは』の見方を間違えていた。

 

喜翠荘は閉館する。従業員もいつか再開することを決意して、解散してゆく。そして緒花にとって、そして僕にとってもひどく遠いものに思われた東京での生活が戻ってきた。しかしそれは、一見かつての日常に帰っただけにみえて、実はまったく違っている。

まだ蕾だった緒花は、喜翠荘と出会い、母親を理解し、孝一に想いを告げて、四十万スイという目標をもったことで花開いたのだ。『花咲くいろは』ファンの彼がいうように、「緒花は何に対しても一生懸命で決して信念を曲げな」かった。緒花はこれからも全力で生きてゆくだろう。そんな彼女の生き方はひどく輝いている。『花咲くいろは』は、とても素敵なアニメだった。